一言で愛といっても、その本質を理解するのは難しいと思います。また、愛が執着になっている場合もあります。そこで、愛を別の言葉で言い換えると、その本当の意味見えてきます。
愛を因数分解すると、受容すること、許すこと、解き放つこと、ゆずること、包み込むこと、感謝すること、、認めること、水に流すこと、差し出すこと、思いやること、共感すること、イノチを大切にすること、おもてなしをすること、人を喜ばすこと、どうぞお先にといえること、人をほめること、信頼すること、待ってあげること、生かされていると思うこと、あるがままで幸せと感じること、ハイと素直に言えること、人を心から褒めること、などの言葉で言い換えることができます。
それらの資質がすべて揃った状態が愛であると言ってもよいでしょう。
カタカムナ文明では、愛の本質を「アワ性」と表現しました。無条件の愛
、見返りを求めない愛、慈悲、アガペーの愛などとも表現されます。
言 葉を変えれば統合に向かっている意識状態です。統合をワンネスといったり、一体感、一元性、無、空、無限、宇宙、神といったりもしますが、分離している状 態のもの(二元性の状態)がまとまって、合わさって、一体化していく時に湧き上がってくる生命エネルギーを愛というのです。
実は愛の状態(統合状態)の時にエネルギーが湧くだけでなく、人を引き寄せる引力が生じます。これが魅力といわれるものです。その人がハートを用いて行動している姿は美しく、光を放ち、それが人を感動させたり、心を揺り動かすのです。
統 合に向かうエネルギーが極まると、生命歓喜(エクスタシー)状態まで行き着くようです。日々生命歓喜状態になり、苦があっても苦と感じない状態を「涅槃」 といい、われわれは、生きながら涅槃状態になることができるのです。あの世での涅槃ではなく、この世で生命歓喜を精一杯味わうために、われわれは生まれて きたのです。
愛の反対の方向性を「エゴ」といいます。
エゴとは分離(二元性)に向かう時に湧き上がるマイナスのエネルギーであり、その時に生命エネルギーが低下します。
エ ゴを別の言葉で因数分解すると、批判すること、要求すること、所有すること、執着すること、独占すること、支配すること、管理すること、責めること、認め ないこと、自己主張すること、押し付けること、多様性を認めないこと、寂しいと思うこと、恐怖や不安の意識状態でいること、などの言葉で言い換えることが できます。
エゴの状態の時には生命エネルギーが低下するだけなく、反発力が生じるので、人がその人から離れていきます。魅力が失われるだけでなく、人から嫌われる状態を招いていきます。
「結 婚は墓場である」などと表現されますが、なぜ結婚する前のトキメキ感がなくなるかというと、相手を独占し、自分の意のままに支配し、管理しようというエゴ の意識が出てくるからです。そのため、生命歓喜とは正反対の生命力の低下を引き起こし、反発力が生じることで、お互いに反目し、しまいには離婚という状況 を招くのです。
反対にパートナーを解き放つ、自由にする、喜ばせる、日々感謝する、信頼するといった愛の方向性を持って暮らしていれば、お互いに生命エネルギーがみなぎり、トキメキとう生命歓喜状態が続き、夫婦円満になります。
愛の本質がマスコミによってゆがめられていて、エゴを煽るような報道がなされています。テレビや新聞は恐怖や不安を煽る情報ばかりを発信しているので、エゴ意識に無意識に陥りがちです。私はテレビも新聞もみませんが、それは、意識が曇ることを理解したからです。
われわれの本質は愛です。これを仏教では「真我」と呼びました。
真我に目覚める人が増えることで、地球意識の革命、アセンションがなされるのでははいかと思われます。
まずは、日々の行動の中で真の愛を実践していきましょう。